毒性学の新しい概念・シグナル毒性

図: 従来の毒性とシグナル毒性の違い(文献より改変・引用、地球を脅かす化学物質、海鳴社より)

 

有害な環境化学物質には、ホルモンを攪乱・阻害する内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)や神経伝達を攪乱・阻害する殺虫剤などがありますが、これらの作用には共通点があります。それがシグナル毒性という考え方です(図)。従来の毒性では、毒性物質はそれ自体が、細胞の多様なタンパク質、RNA、DNAなどに直接異常を起こして、毒性を発揮しました。一方、環境ホルモンでは、ニセ・ホルモンがホルモン受容体に結合し、本来のホルモンの作用による情報を攪乱・阻害するようなシグナル(情報)の攪乱作用による毒性があることが分かってきました。神経伝達系でも、殺虫剤のようなニセ・神経伝達物質が本来の受容体に結合すると、ニセ情報のシグナルが伝達して、本来の神経伝達情報を攪乱・阻害することが確認されています。
つまり本来、ホルモンや神経伝達物質には、それぞれ特有なホルモン受容体や神経伝達物質受容体が細胞膜や細胞内に存在しており、その受容体にホルモンや神経伝達物質が結合するとシグナル(情報)が伝達して、適切な生理的作用が起こるのです。一方、環境ホルモン(=ニセ・ホルモン)や殺虫剤などのニセ神経伝達物質がそれぞれの受容体に結合すると、異常なシグナルが伝達して、異常な作用が起こってしまうのです。生体内ではホルモンや神経伝達系以外でも、免疫系、嗅覚系、感覚系など、多様な生体反応において、情報を担う物質と特有な受容体による情報伝達が生体反応を司っています。ですから、本来の情報物質に似たニセの人工化学物質が本来の受容体に結合して、正常な情報伝達を攪乱・阻害すると、様々な健康障害が起こる可能性があるのです。
そして、従来は環境ホルモン(内分泌攪乱物質)の攪乱作用は内分泌機能(ホルモン系)への影響と考えてきましたがここでは、シグナル毒性として、神経系や免疫系などへの影響なども含むことになります。この考え方は、毒性学の専門家である労働者健康安全機構・バイオアッセイ研究センター所長・菅野純先生(国際毒性学連盟会長)によって新しい毒性の概念として提唱されています。内分泌攪乱物質の定義は、現段階ではWHO、欧州、米国などで統一されていませんが、実際に健康影響を及ぼすか否かが重要なことであり、定義は研究の進展に伴い、確定されていくでしょう。
また、化学物質過敏症の発症は、このようなシグナル毒性を介した攪乱作用が関わっている可能性が考えられています。例えば空気中に含まれる化学物質は、鼻や気道に存在する匂い物質の受容体(嗅覚受容体)や様々な刺激に応答するTRP受容体などに結合して、そのシグナル(情報)が何らかの生理反応を起こします。嗅覚受容体やTRP受容体は鼻粘膜や気道など体表だけでなく、内臓など様々な組織に存在して機能していることが分かってきており、有害な人工化学物質の曝露がこれらの受容体の生理機能を撹乱して、多様な症状を起こしているのかもしれません。TRP受容体は、化学物質、熱、機械刺激、浸透圧など様々な刺激に反応する受容体で、種類も多く多様な機能を担っている重要な受容体です。

 

シグナル毒性の文献:Kanno J. Introduction to the concept of signal toxicity. The Journal of toxicological sciences. 2016;41(Special):Sp105-sp9